そして 小堀遠州

ワクワクしてきますね。
遠い昔に活躍してきた人々を身近に感じることのできる今
そしてこれからの京都旅ー。               

遠州という人もまた知れば知るほど
人としての魅力にあふれた人のようでした
まだ戦乱さめやらぬ徳川の時代にあって
功をあげながらも人との交わりを大切にした
心豊かな情愛にみちた人であればこその
何百回にも及んだ茶会の催しもさればこそとうなづけます。
しかも日本の各地に庭園や城を造営しつつの超多忙な暮らしの中での営為です。

人との交わりは朋友にとどまらず武家貴族商人などまさに博愛に通ずる茶会の客人の相だったといわれます。
ぎくしゃくしがちな世相を己の力の範囲のおよぶところ、力をつくしたのではないかと
想像されるのです。(口ばかり「愛」をとなえた誰かさん、見習ってほしかったですね。)

遠州の好みは綺麗さびといわれますが
まさに自然と人工の美の調和の極致を追求したものと納得されます。
桂離宮の完成された美からは遠州の理想をしみじみと感得できる気がします。
今回はあらためて隈ぐま探索してきます。
そして私の芸術家ハングリー論からしてもこの桂離宮、そして二十年をついやしたという
岡山高梁市頼久寺庭園にはなつかしい故郷近江の景色を想像させるシーンがあるようです。
桂、月波楼の波に浮かぶ船のような月見台などまさに・・・?
封建の時代、故郷は定住の地とはなりえなかったのです。
みたされぬその故郷へのあくがれが水をえた魚のように彼を造園へと
かりたてたのではないでしょうか。

遠州といえば・・・わが祖父の生花「遠州松風流」もそのかみにどこかできっとご縁があったこととおもわれます。
                                (これもまたわがシンクロニシティー?)
         自然のままでなく生き物たる花材を卓越した技によりとことん美的に再創造する作風でした。
        頑固者だった祖父は誰にもそれを継承することなく世を去りましたー